2027年4月就任予定 科学技術社会論の研究者が担う、資金調達と大学の公共性
東京大学は9月28日、大学院総合文化研究科教授の藤垣裕子氏を次期総長予定者に選出した。文部科学大臣による任命を経て、2027年4月1日に第32代総長へ就任する予定で、任期は2033年3月31日までの6年間となる。東大で初めて女性が総長を務めることになる(東京大学、2026年)。
翌29日の会見で藤垣氏が示したのは、大学財政を支える仕組みを整えることと、学術への長期的な信頼を守ることを同時に進める姿勢だった。大学が公表した会見概要によると、財政面では米国の大学を参考にすべきだとする一方、米国で学術への信頼が低下していると捉え、その点まで見習うべきではないと述べた。大学の役割を、次の世代へ知を引き継ぐ営みとして位置付けた。
この人事を読む鍵は、初の女性総長という節目に加え、科学と社会の関係を研究してきた専門性にある。東大は財源の多様化や授業料改定を進めてきたが、資金を増やすことと、学問の価値を社会に理解してもらうことは別の課題だ。藤垣氏の会見と選考資料は、両者を切り離さずに大学を運営する必要性を示している。
科学と社会の接点を研究 学生支援と研究倫理の実務経験も
藤垣氏の専門は、科学技術社会論と科学計量学である。東大の教員紹介では、科学と社会の接点に生じる課題、科学者の社会的責任、研究活動そのものの分析を研究テーマとして挙げている。専門知と公共性、科学技術と民主主義、市民参加なども、その研究に関わる論点だ。
科学技術社会論は、科学技術の成果を社会へ分かりやすく伝えるだけの分野ではない。専門家の判断が社会の意思決定とどう結び付くか、科学的な説明と人々の価値判断がどこで交わるかを考える領域である。大学が研究の自由を維持しながら社会との関係を築く際に、重要となる問いを扱う。
藤垣氏は研究者としての活動に加え、2021年から2025年まで理事・副学長を務め、学生支援、入試・高大接続、評価、研究倫理を担当した。教育を受ける学生の条件と、研究機関としての信頼の双方に関わってきた経歴である。会見で示した大学像は、専門研究だけでなく、こうした運営経験とも結び付く。
総長選考・監察会議の選考理由も、藤垣氏のコミュニケーション力と、学術への信頼を回復する意志・能力を評価している。文理融合や学内外の対話を通じて、多様な知を発展させる力を重視した。財務体質の強化と研究環境の充実を、社会との関係まで含めて進めることが期待されている。
初の女性総長と、意向投票2位からの選出 制度への説明も課題に
藤垣氏が就任を予定する2027年は、東大の創立150周年に当たる。初の女性総長としてその節目を迎えることについて、本人も会見で社会へのメッセージになるとの期待を示した。人事の象徴的な意味は、今後の大学運営や研究環境のあり方と併せて受け止める必要がある。
今回の選考では、学内の意向投票の順位と最終的な選出結果が一致しなかった。2回目の投票で染谷隆夫氏が1107票、藤垣氏が553票、山本隆司氏が451票を得たが、総長選考・監察会議は藤垣氏を選んだ(東京大学、2026年)。大学の公表では、所見、推薦書、面接を含む調査、所信表明、意向投票などを総合的に考慮したとしている。
意向投票は、最多得票者が自動的に総長になる仕組みではない。その一方、投票の結果を制度上の位置付けだけで説明すれば、学内の納得が直ちに得られるわけでもない。選考で何を評価し、どのような大学像を求めたかを示すことが重要になる。
この論点は、藤垣氏が掲げる学術への信頼ともつながる。社会に対する説明だけでなく、学内で異なる意見を持つ構成員と意思疎通を図ることも大学運営の基盤となる。選考結果を出発点として、執行部がどのように対話と判断の説明を行うかが問われる。
収益が増えても自由に使える財源とは限らない 決算が示す財政の構造
東大の財政を、単純に「資金がない」と表現するだけでは実態を捉えられない。大学の収益には、国からの資金、授業料や附属病院などの自己収入、受託研究・共同研究・寄付などの外部資金が含まれる。規模の大きな収益があっても、その全額を教育研究の基盤に自由に振り向けられるとは限らない。
2024年度の決算概要では、経常収益は2991億円、経常費用は2901億円だった。外部資金は1160億円で、前年度から247億円増加した。一方、大学は損益の改善について会計基準改訂の影響が大きいと説明し、財務状況の改善は引き続き課題と認識している(東京大学、2024年度決算)。
| 2024年度の経常収益の区分 | 金額 | 構成比 |
|---|---|---|
| 運営費交付金・補助金などの国費 | 969億円 | 約32.4% |
| 附属病院収益などの自己収入 | 860億円 | 約28.8% |
| 受託研究・共同研究・寄付などの外部資金 | 1160億円 | 約38.8% |
出典:東京大学「令和6事業年度決算の概要」(2025年公表)。金額は同資料の丸め値。
この構成を見る際には、収益の増加と、それに対応する活動や費用を併せて考える必要がある。特定の研究を行うための資金を受け入れれば、その研究の人員、設備、実施費用も必要になる。附属病院の収益も、診療などの活動を支える費用から切り離して考えることはできない。
財政戦略で重要となるのは、総収益の大きさに加え、大学が独自に配分できる資金と、その継続性である。研究設備の維持、教育支援、研究者の雇用などは、一度の資金獲得だけでは支えにくい。資金を集める能力と、長期の支出を支える能力を分けて評価する必要がある。
米国を参考にする財政とは 基金運用と学問の自律性
東大はすでに、基金を積み立て、その運用益を教育研究などに活用するエンダウメント型の経営を進めている。2025年3月の大学公式広報では、大学独自の判断で中長期の事業へ投資するための仕組みとして説明された。藤垣氏の会見での米国への言及は、こうした既存の財政改革を背景に読むことができる。
基金運用の意義は、単に金融収益を増やすことではない。毎年の資金獲得や個別事業の採択だけに左右されず、大学が必要と判断した活動へ継続的に資金を配分できる余地を作ることにある。教育研究の時間軸と、財源の時間軸を近づける試みといえる。
ただし、運用益は一定額が保証される収入ではない。市場環境によって成果は変動し、基金の目的や運用方針によって、使える範囲も異なる。経営を評価する際には、基金の規模だけでなく、実際にどの活動へどれだけ配分できたかを見る必要がある。
藤垣氏は、選考前に提出した所見でもエンダウメントへの言及を行っている。同時に、大学が知的遺産を継承する機関であることを踏まえ、企業のように採算の取れない部門を切り捨てる施策を取るべきではないとの考えを示した。これは会見当日の予算決定ではなく、候補者として示した経営上の立場である。
ここに、財源の多様化と学術の自律性を両立させる課題がある。資金調達の方法を広げても、研究の価値を短期の収益だけで評価すれば、長い時間を要する学問を支えにくくなる。財政の改革によって、どの研究や教育を継続できるようにするかが、大学経営の実質となる。
財政改革は学生にも届く 授業料と支援の効果をどう示すか
大学財政は、学生や研究者から離れた経営上の問題ではない。授業料、奨学制度、図書館、学習環境、研究設備などを通じて、日々の教育研究に関わる。次期執行部の財政方針も、資金調達額だけでなく、学ぶ条件や研究する条件をどう変えるかで評価される。
東大は2025年度以降の学部入学者について、授業料を年額53万5800円から64万2960円へ改定した。差額は年10万7160円である(東京大学、2025年。差額は公表額から算出)。この改定は藤垣氏の選出前に決定されたもので、今回の会見で新たな値上げが発表されたわけではない。
改定時の大学資料は、教育学修環境の改善と併せ、授業料免除などの学生支援を拡充する方針を示している。また、修士課程の改定は2029年度入学者からとし、今回の改定では博士課程の授業料を据え置くと説明した。学生の段階によって、負担の扱いを分けた制度設計となっている。
次期執行部に問われるのは、この既存方針がどのような成果をもたらしているかを示すことである。学生の負担増に対応する教育環境の改善が進んだか、支援を必要とする人に制度が届いているかを確認する必要がある。収入が増えたという説明だけでは、学生にとっての政策効果は分からない。
研究者についても、同じ視点が求められる。資金調達や研究拠点の整備が進んでも、若手が研究を続ける時間、設備、生活の条件が整わなければ、次世代の育成につながりにくい。財政の成果を、教育研究の現場で何が可能になったかという形で示すことが重要になる。
学術への信頼は広報だけでは築けない 社会との対話と学内統治の両面
藤垣氏が会見で示した学術への信頼は、研究成果を分かりやすく宣伝することだけを意味しない。大学が知を受け継ぎ、将来に向けて発展させる機関であるという認識に基づく。長期にわたって大学の役割を果たすには、その活動を支える社会との関係が必要になる。
一方、選考理由の公表資料は、東大で近年、ガバナンス上の課題が相次いで顕在化していることを明記している。リスクに対応する体制の強化と、社会的信頼の回復を、総長に求める能力として挙げた。学術全体への信頼と、大学組織としての信頼の双方が、選考の背景に置かれている。
両者は関連するが、同じものではない。学術への信頼には、研究の根拠や限界を説明し、社会の疑問と向き合うことが関わる。組織への信頼には、問題が起きた際の対応、意思決定の説明、適切な統治の仕組みが関わるため、それぞれに具体的な取り組みが必要となる。
社会に開かれることも、外部からの要望をすべて受け入れることではない。研究の不確実性や、結論が変わる可能性を説明しながら、専門的な判断を維持することが必要になる。大学が社会と対話する意味は、理解を求めるだけでなく、社会から寄せられる問いを研究や教育へつなぐ点にもある。
財源を外部へ広げる場合には、この関係がさらに重要になる。大学が何を支援してもらい、研究上の判断をどのように守るかを説明できなければ、資金調達の成功がそのまま信頼につながるとは限らない。資金を集める活動と、その資金を用いる判断の双方について、大学の公共性を示す必要がある。
次期執行部を評価する基準 調達額より教育研究への配分を見る
今後の政策を評価する際、最初の基準となるのは、安定して使える財源がどれだけ確保されたかである。寄付、共同研究、基金運用などの規模に加え、用途の制約や継続性を確認する必要がある。大学全体の基盤を支える資金が増えたのか、特定事業の拡大なのかを分けて見ることが重要になる。
次の基準は、得られた資金が学生と研究者の環境にどう届いたかだ。授業料改定に伴う学修環境の改善、学生支援、若手研究者の活動条件などを、支出と成果の両面から示すことが求められる。予算の総額だけでなく、現場が改善を実感できるかが政策の実効性を左右する。
さらに、学術への信頼を制度にどう結び付けるかも評価点となる。社会との対話、研究倫理、問題発生時の対応、学内の意見を反映する仕組みを、個別の取り組みとして確認したい。信頼という大きな言葉を、大学の意思決定と日常の活動へ落とし込むことが必要になる。
藤垣氏の選出と会見で示されたのは、財政改革と学術の使命を同時に考える方向性である。具体的な予算配分や新たな制度の成果は、これからの政策によって判断される。会見の理念と、選考前の所見、就任後の施策を区別して読むことが、変化を見極める前提となる。
初の女性総長という節目は、東大が誰に開かれた大学であるかを考える機会でもある。その意味を大学運営に結び付けるには、多様な学生や研究者が活動できる条件と、異なる意見を扱う仕組みが必要になる。象徴的な人事の意義は、日々の教育研究と組織運営を通じて具体化されていく。
大学が財源を広げる目的は、知を生み、次の世代へ引き継ぐ活動を続けることにある。同時に、その活動の意義と運営の根拠を社会へ示すことが、継続的な支援を得る基盤となる。次期総長に問われるのは、財政と信頼をそれぞれの標語にせず、教育研究を支える一つの経営方針として実行することである。
主な参照資料:東京大学「次期総長予定者の藤垣裕子教授が会見」「次期総長予定者の選考結果、選考理由及び選考過程」(2026年9月)、教員紹介、2024年度決算概要、授業料改定・学生支援に関する公式資料、藤垣氏の選考時の所見。財政数値は記載した対象年度のものであり、将来予算を示すものではない。