原油の国際価格が上昇基調にあるなかでも、為替が円高方向に振れれば輸入物価の上昇圧力はどこまで和らぐのか。鍵は「ドル建て価格×為替レート」という単純だが強力な構図である。日本銀行が9月11日に公表した2026年8月の企業物価統計では、輸入物価が契約通貨ベースで前月比1.0%下落したのに対し、円ベースでは3.0%下落となった。為替の動きが同月の下落幅を押し広げた形だ。
同指標の基準(2020年平均=100)でみると、8月の輸入物価は円ベース193.7、契約通貨ベース142.0。両者の開きは、直近1カ月の為替だけでなく、2020年以降の円安の累積を反映する。エネルギーでは差がさらに鮮明だ。「石油・石炭・天然ガス」は前月比で契約通貨ベース3.7%下落に対し、円ベースは6.1%下落。前年同月比はそれぞれ32.8%、42.2%と9.4ポイントの差がついた。国際市況の上昇局面で円安が重なれば、企業が感じる輸入原価は一段と上振れやすい。
為替は9月に入り一時的に円高方向へ振れた。東京外為市場では9月14日に1ドル=154.39円と、8月の月間平均158.7円に比べ約2.7%の円高水準を付けた。こうした水準が月平均として定着すれば、9月以降の輸入物価の緩衝材になり得る。ただし同時期に国際原油がより大きく上昇すれば、抑制効果は目減りする。
契約通貨ベースと円ベースを分けてみる必要があるのは、計測の仕組みのためである。輸入物価は原則として運賃・保険料を含む到着価格を把握し、外貨建て契約分は対顧客電信売買相場の月平均で円換算する。日本銀行が2026年3月に示した構成比では、2025年12月時点のウェイトのうち外貨建てが69.9%、このうちドル建てが全体の64.3%を占め、円建ては30.1%にとどまる。日本の輸入はドル決済の比重が高く、為替が副次要因ではないことが統計からも読み取れる。
為替の効き方は単純計算でも実感できる。仮に原油を1バレル=100ドルと固定すると、為替が1ドル=140円なら1万4,000円、150円なら1万5,000円、160円なら1万6,000円になる。160円から150円に円高が進めば円建て原価は6.25%減る。米エネルギー情報局のデータではブレント現物の8月平均が91ドル、9月9日には109.51ドルを付けた。仮に価格が91ドルから100ドルに上がる一方、為替が160円から150円へ円高になった場合、円建てのバレル当たりは約1万4,560円から1万5,000円へ約3%の上昇にとどまる。為替が160円のままなら上昇率は約9.9%になる。実際の調達価格は運賃や保険、ヘッジ、時差で前後するが、為替が上昇分の相当部分を相殺し得ることは示唆される。
もっとも、輸入原価の変動が家計の負担に直結するわけではない。LNGのように長期契約の比重が高い品目や、電力・ガスの燃料費調整など制度が介在する分野では、現物市況の急変が平均輸入単価や料金に反映されるまで時間がかかる。資源機構の週次整理では、東アジアのLNG現物指標JKMが9月11日に100万Btu当たり28ドル台半ばまで上昇した一方、財務省貿易統計に基づく7月の日本の平均LNG輸入価格は13.03ドルだった。指標と平均単価は性格が異なり、現物の高騰が直ちに全体の輸入単価を代表しない。
企業段階では輸入原価の揺れがすでににじむ。8月の国内企業物価指数は前月比0.2%低下、前年同月比では7.6%上昇となった。石油・石炭製品は前月比1.7%下落でも前年同月比で14.7%高、電力・都市ガス・水道も前年同月比8.0%上昇である。一次のショックは企業間価格にしばらく残存しやすい。
家計が目にする消費者物価は別の表情だ。総務省が8月21日に公表した全国7月CPIは、総合が前年同月比1.9%、生鮮食品を除く総合(コア)が1.8%、生鮮食品とエネルギーを除く指数が1.9%上昇。エネルギーは0.4%下落、電気代も1.7%低下した一方で、生鮮食品を除く食料は3.1%上がった。東京都区部の8月中旬速報も総合1.9%、コア1.8%、生鮮・エネルギー除く2.0%と似た構図で、エネルギーは0.7%下落、食料(生鮮除く)は3.8%上昇だった。電気・ガス負担の軽減策や燃料関連の政策がエネルギー項目を押し下げる面もあり、為替の効果は見えにくくなる。
日本銀行は7月31日の展望レポートで、2026年度後半以降は原油や半導体価格の上昇、円安の影響で物価が2%を明確に上回り、その後は原油高の影響が薄れるにつれ再び2%程度に向かうとの見通しを示した。政策運営では無担保コール翌日物金利をおおむね1.0%程度に誘導する現行方針を維持し、経済・物価・金融情勢に応じて金融緩和の度合いを調整していく姿勢を確認した。日銀が注視するのは「一日の為替」ではなく、円高・円安がどの程度の強さと持続性をもって月平均の輸入価格を動かし、企業段階でどれだけ吸収され、どの速度でCPIに波及するかという経路である。
足元の判断材料は間もなくそろう。9月17~18日の金融政策決定会合と、18日に公表される全国8月CPIがまず来る。続く10月には9月会合の「主な意見」や9月分の企業物価が出そろい、9月の円高が月平均の輸入物価をどの程度抑えたかを確認できる。見るべきは個別の原油価格だけではない。ドル建て価格と為替が掛け合わさった輸入原価、その企業価格への波及、家計の物価に届くまでの時間差という、構造全体である。